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| プ ロ フィ ー ル |
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スモン病とは、亜急性脊髄・視神経・神経障害の学名の頭文字をとって[SMON」と命名された疾患です。
整腸剤キノホルムが毒性が強く、しかも吸収されるにも拘らず毒性がなく吸収されないとして、製薬会社が売りまくり、国もまた適切な措置を講じなかったため、被害者を増加させるに至った。
スモンは初め激しい腹痛から始まり、便秘等の症状を呈しながら、両足の末端からしびれ、痛みと共にに向上し、大多数の患者は腰まで侵され、中には脊髄を侵されて手、顔の神経障害や視神経を侵されて失明の例も少なくない。
45年9月、厚生省がキノホルム剤の製造販売を禁止する行政措置によって、以後は患者の発生がなくなっている。
スモン患者は全員が下半身の痛み、しびれ、冷感に苦しみ、2割は歩行不能、2割は失明という重圧の後遺症を持つほか、中には消化器疾患循環器疾患の余病も多く、最近では白内障や骨折も増えていますが、スモンには根本的治療法がなく、対症療法が行われているだけです。
スモン患者発生の初期は社会や病院の無理解から悪性ウィルス説が流布され、自殺者を多数出す悲惨な事もありましたが、最近の患者は余病を発し易く、死亡する患者が増えています。
静岡県スモン友の会は、46年4月静岡光の家、済生会病院、NHK静岡他の有志者に支えられて活動に入り、県独自の対策を講じる運動とスモン啓蒙運動が進められ、48年に国と製薬会社に対する民事訴訟を起こして、長い困難な運動に入りました。
54年7月、県民多数支援の下に全国で7番目の完全勝訴を獲得すると共に、9月には救済の柱となる確認書を薬事二法と共に勝ち取りました。
55年5月確認書によって、後から参加した仲間、特に投薬証明のない患者の救済に力を注ぐと共に、スモン患者の日常生活問題を改善して行くために、恒久対策の充実に努め、60年6月県最後の仲間1人も解決して、8月に「終結報告集会」を開き、13年の長きに亘る運動の幕を閉じましたが、その集会でスモンの恐ろしさ、運動の意義、恒久対策等が論議され、専門家の有益な助言等参加者に深い感銘を与えました。
61年5月、原告団を解散しましたが、友の会はこれからも薬害根絶、恒久対策拡充等の運動を続けていきます。 年月の経過と共にスモン恐ろしさを、苦しみは社会から忘れられ、関心は薄れています。
しかし、患者は高齢化と後遺症の中で、余病という新たな問題が加わり、患者は日々不安な生活を送っています。
静岡県スモン友の会は会報や親睦交流会等を通じて、患者の孤立化を防ぎ、連帯を深めて行くと共に、他の患者団体及び関係機関・団体と交流を努め、次の事業計画を実施しています。
- スモン患者に必要な医療・福祉の実現。
- 随時要請により親睦懇談会の開催。
- 会報の発行による情報連絡。
- 県を初め各自治体との交流。
- スモンの会全国連絡協議会の運動に全面協力。
- .静岡県難病団体連絡協議会の運動に賛同参加すると共に、同じ悩みを持つ患者・被害者運動には、母体として協力し交流する。
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